抗議デモ・ロヒンギャ問題に隠れるミャンマー紛争(2)

では、前回ビルマ・ミャンマーの紛争背景の経緯を振り返ったので、今回はカチン州、シャン州、カイン州の紛争をそれぞれ詳しく解説していきます。

カチン州の紛争

ミャンマー北部のカチン州は、人口約170万人で主にカチン人が居住しています。カチン人の約60%から90%がキリスト教徒です。

カチン州は、前回説明した1947年のパンロン会議で合意した州だったので、イギリスから独立した当時は反乱を起こす武装集団はいませんでした。

しかし中央政府によって、その自治権が徐々に削られていったので、自治権を拡げるために、政府に対抗する政治的組織、KIO(カチン独立機構)が1960年に、そしてその軍隊のKIA(カチン独立軍)が1961年に創設されました。

1962年、ビルマ政府が連邦制度を廃止して、国教を仏教に据えたので、KIOはこれに反発する動きを強めました。

KIOの資金源ははっきりとはしていませんが、政府はKIOが違法薬物であるアヘンの取引を通して資金を得ていると主張しています。

またカチン州に存在する金や翡翠(ヒスイ)、熱帯性の木材などの天然資源の獲得のために、政府軍が軍事介入を行いました。

KIOはミャンマーの紛争の政治的解決を目指して、ミャンマー政府と停戦協議を続けましたが、紛争は絶え間なく続き、組織創設から約30年後の1994年にやっと停戦になりました。

停戦の実現のため、カチン州の天然資源がミャンマーの軍事政権の管理下となる代わりに、一定の自治権が与えられました。

KIOと政府の停戦合意後、平和的社会の実現に向かうと思われていたのですが、2009年政府軍が停戦合意を破棄しました。

これによって、2011年6月に戦闘が発生し2012年にかけて紛争は激化しました。2013年5月に沈静化の合意があったのですが、現在も紛争は続いています。

民間人への被害ももたらされていて、10万人前後の人々が避難を続ける大規模なものとなっていて、カチン州の紛争は中央対地方というミャンマーが抱える典型的な紛争の例であるといえます。

シャン州の紛争

東部に位置しているミャンマー最大の州がシャン州です。主に居住しているシャン人はミャンマー最大の少数民族で、他にも複数の少数民族が居住しています。宗教は主にビルマ人と同し、上座部仏教を信仰しています。

シャン州もカチン州と同様にパンロン会議でビルマの州として自治を行うことに合意をして、イギリスからの独立後、シャン州では自治が行われていました。

しかし、1950年、国民革命軍がシャン州に逃げ込んだ際、ビルマ政府はシャン州の安全を確保するということを名目にシャン州に政府軍を派遣して、シャン州に対する圧力を強め、シャン州の自治は衰退していきました。

1958年以降、これに対抗するためシャン州独立軍など複数の反政府勢力が生まれました。

反政府勢力と政府軍の争いは続きましたが、1964年に既存の反政府勢力が合併して、シャン州軍が設立されました。

シャン州軍はシャン州の自治権の回復、拡大を目指して戦いました。でも、シャン州にはもう一つ、麻薬取引の問題もありました。

国民革命軍がシャン州に逃げ込んだ際、シャン州東部に麻薬関連基地を建設しました。これによってシャン州はアヘンの取引が活発になっていました。後に麻薬組織も武装化して、紛争の当時者になっていきました。

1960年代後半になると、独立時に衰退したビルマ共産党がシャン州北部へ侵攻して、州内に拠点を置く武装グループを吸収し、麻薬による資金調達で軍事力を拡大し、強力な反政府勢力となりました。

シャン州軍は1976年に解散し、その後、1989年にビルマ共産党はMNDAAやNDAAなどに分離しました。

政府軍はMNDAAなどの反政府組織と1989年に停戦合意を行って、1990年代から10数年にわたり、グループ間の争いはあったものの比較的安定した時代となりました。

2009年4月、停戦合意に達した武装グループを政府側の国境警備隊にする宣言が政府軍から出され、NDAAなどの武装グループは、カチン州で同じく警備隊への変換指令を拒否したKIOなどと組むことにしました。

その結果、政府軍や国境警備隊と戦闘が起きるようになりました。この争いは現在も続いていて、数千人が国内外に避難しています。

カイン州(旧カレン州)の紛争

ミャンマー南東部に位置しているカイン州は、人口約160万でカレン人やモン人など多くの民族グループが居住しています。

KNU(カレン民族同盟)という反政府勢力は、1947年のパンロン会議でビルマの州として自治を行うことを拒否しました。しかし、ビルマ政府は州として引き入れようとしたため、1949年にKNUと政府軍よる紛争が始まりま、州全体で紛争が頻発しました。

そして1994年の政府軍からの攻撃によって、KNUはほとんどの支配領土を失いました。

その結果、KNUは複数の武装集団に分離していきました。これらの武装集団は、それぞれ政府に協力的な集団であったり、政府に反抗を続ける集団であったりと形態はさまざまでした。

2013年5月にはカインの5つの武装グループが会議を開いて、グループ間の緊張を緩和しようと取り組んだり、また、KNUは2012年に政府と停戦合意を結んだりするなど、着実に状況は改善されてきています。

しかし州内の山岳地帯には多くの避難民がいて、隣国のタイにも10万人の難民が存在するなど問題は残っています。

避難民たちは多数の武装グループの存在を心配していて、グループ間や政府との緊張がなくならない限り、避難民が元の生活に戻ることはむずかしいんです。

コラム

ミャンマーデモは現在も続いていて、市民は再び軍事政権に引き戻されないよう戦い続けています。でも、このデモやロヒンギャ問題は注目されるなか、カチン州、シャン州、カイン州などでは、長らく、多くの市民が基本的な人権の保障や自治権を求めていて、資源や権力をめぐる争いが続いている、という問題はなかなか注目されていません。

ミャンマー政府は自治権を与えることによって、少数派への影響力の低下や反乱を恐れて武力行使を行っているのかもしれませんが、市民が平等に扱われ、安全に生活できるように、私たちはこの問題を知っている、見守っている、とプレッシャーをかけることは、私たちにできることの1つだと思います。

世界の問題は複雑でなにをしたからといってすぐ解決されるものはありませんが、まずは知らなければ、知らないうちに加害者になってしまうことだってあります。紛争の問題は歴史も絡んで、ややこしいですが、まずは知ることから、一緒に始めてみましょう!

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