みなさんこんにちは、コクレポです。
2021年3月17日現在、ミャンマーで国軍がクーデターを起こし、多くの抗議デモ参加者が死亡し、日本のメディアでも連日大きく取り上げられています。
また、ミャンマーの問題といえば、西南部ラカイン州のロヒンギャ難民についても、聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
でも、日本では報道されませんが、ミャンマーでは北部や東部でも、いくつもの武力紛争が現在も続いているんです。
これらの紛争はビルマ・ミャンマーの歴史が大きく関係しているので、前半でこの背景となる歴史を解説し、後半で、特に激しい紛争状態となっているミャンマー北部や東部のカチン州、シャン州、カイン州の紛争について、解説していこうと思います。
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支配されるビルマ
ミャンマーは人口の約6割がビルマ人というアイデンティティを持っていて、その他を多数の少数民族で構成しています。
歴史をさかのぼると、さまざまな王国や帝国が拡大・合体・分裂を繰り返した結果、今のさまざまな民族が暮らす領土を確定する国境線ができました。
19世紀、イギリスやオランダからの圧力が強まり、第一次イギリス・ビルマ戦争、第二次イギリス・ビルマ戦争を経て、1885年に現在のミャンマーの領土がイギリスの支配下になりました。
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当時のイギリスは、現在のインド、パキスタン、バングラデシュを含む地域をインド帝国として支配していて、ビルマとその周辺の州は、南部の首都ラングーン(現ヤンゴン)を中心に、イギリス領インド帝国のビルマ州として統治されました。
一方、シャン人、カチン人、カレン人が住むビルマ北部や東部の地域はインド帝国ビルマ州の一部でしたが、それぞれ半自治政府を置いて、地域を治めるように指示されたため、自由な自治が認められました。
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独立:ビルマからミャンマーへ
第二次世界大戦期の1942年から1945年までは日本によって占領され、その後イギリスによる再占領を経て、1948年にビルマ連邦として独立を果たしました。
シャンやカチンなど独自で自治を行っていた地域のほとんどは、1947年のパンロン会議で、完全な自治と、国の財産の平等な分配が約束されたので、ビルマ連邦の州として独立することに合意しました。
しかし、1962年、軍事クーデターにより政府が倒されて、経済の国有化を目指すビルマ式社会主義が導入され、直接的な支配を行うため連邦制度は廃止されました。
これに反発した北部や東部の州では、抵抗するための武装勢力が誕生しました。
1988年、社会主義の独裁政権のもと、大規模な民主化を要求するデモが発生しました。このデモは軍によって鎮圧されましたが、その後、軍の青年グループがクーデターを行って、新しい軍事政権が誕生しました。
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この政権は反政府武装グループによる抵抗を恐れて、少数派民族地域の支配ををさらに強めました。
またビルマという国名は、ビルマ連邦の最大民族グループの名前だったので、非ビルマの少数民族の支配をより明確なものとするために、1989年には国名をビルマからミャンマーに変更しました。(ちなみにミャンマーの名前は、ビルマの英語の発音(mranma)に由来しています。)
1988年の民衆によるデモに応えるため、1990年にはミャンマー総選挙が実施されました。選挙ではアウンサン・スー・チー氏率いるNLDが議席の90%以上を獲得して勝利しましたが、政府は結果を無視して権力を保持し、その後約20年間にわたって軍事政権が続きました。
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そして2011年、やっと軍事政権の支配が幕を下ろし、国外からのミャンマー市場への規制緩和や、市場の自由化の促進、報道の自由化といった政治経済的自由化が行われて、ミャンマーの社会、経済は大きく進展しました。
一方で、連邦制の樹立は国家としてのまとまりを失ってしまうため消極的で、連邦制復活を期待する少数派民族地域からの反発が大きくなっています。
このように歴史を振り返ると、現在も紛争が続いている背景がわかったのではないでしょうか。
次の記事で、紛争が特に激しいカチン州、シャン州、カイン州に注目して、詳しく解説します。