トルコが少数民族クルド人を軍事排除:進行中の紛争の現状

 

トルコのエルドアン大統領は2022年5月末、クルド人勢力に対する「新たな軍事作戦」を実行することを発表しました

トルコの軍事行動は様々な国や人権団体から非難されています

今回は、トルコが少数民族のクルド人を排除しようとしている現状を、歴史もさかのぼりながら解説したいと思います。

イスタンブールにあるオスマン帝国時代の建築様式のモスク(写真:www/bhattacherjee.com / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])

トルコの過去と現在

現在のトルコ国土の大半を占めるアナトリア半島は、ローマ帝国やビザンツ帝国をはじめとして古代から多くの帝国が興亡してきました。

1299年にアナトリア地帯の住民らがオスマン帝国を建国し、1453年にはビザンツ帝国を滅亡させ、支配領域のイスラム化を進めます。

オスマン帝国は16世紀の終わりまで急速に拡大していき、最盛期には、北は現在のハンガリー、西はアフリカ北西部のアルジェリア、南はエジプトやイエメン、東はペルシャ湾に至る広大な領土を有し、歴史的な大帝国になりました。

しかし1683年に神聖ローマ帝国への遠征である第2次ウイーン包囲で大敗したことを端として帝国の縮小化が始まり、19世紀末にはかなり弱体化していました。

オスマン帝国は第一次世界大戦で、イギリスやフランス、ロシアの連合国側に敗北し、帝国が西欧列強に占領され解体される危機を迎えました。

しかし軍司令官のムスタファ・ケマル・アタテュルク氏を指導者として、連合国による領土の分割に抵抗する運動が勢いを増しました。

1922年にオスマン帝国の皇帝が亡命したことでオスマン帝国が終焉すると、1923年にトルコ共和国が成立し、アタテュルク氏は選挙で大統領に就任、近代化に向けた改革を行いました。

1945年に国際連合に加盟し、1952年には北大西洋条約機構(NATO)に加盟しています。

現在大統領を務めるエルドアン氏は、2003年に保守的なイスラム主義と庶民主義を掲げる公正発展党(AKP)党が政権を取った際の党首であり、2014年までは11年間首相を務めました。

首相時代の前半には、高度経済成長に伴う生活水準の向上を経験し、また他国での発言力が向上したことで、エルドアン氏に対する好印象へと繋がりました

その後、大統領選に立候補して当選し、2014年から現在まで大統領としてトルコを率いています。

2018年に首相のポストを廃止し大統領制へと移行したことで、権威主義・独裁主義の傾向に拍車がかかっています

彼の政策で特徴的なのが、積極的な外交戦略です。

新興国として、また地域の大国として、軍事介入などの手段を通じてその影響力を強め、勢力圏を拡大したいという思惑が随所に見られます。

トルコのエルドアン大統領(写真:unaoc / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])

クルド人問題と中東地域での立ち回り

トルコを取り巻く情勢を見ていく中で無視できないのが、クルド人というアイデンティティを持つ者たちとの関係です。

トルコ、シリア、イラク、イラン、アルメニアの国境をまたぐ地域に居住するクルド人は約3,000万人にのぼると言われ、国を持たない世界最大の民族と言われています。

しかし各国では少数派であり、一度も永続的な国家を得たことがなく、差別や弾圧の対象となってきました。

第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れた際、勝利国であるイギリス、フランス、ロシアによって、戦後に中東地域を分割するための密約としてサイクス・ピコ協定が結ばれました。

これに基づき、クルド人の居住地域に恣意的な国境線が引かれました。

分断されたクルド人は反発し、この頃からクルド人国家の建設が叫ばれ始めます

オスマン帝国と連合国との間で1920年に締結されたセーヴル条約によってクルド人の自治が初めて承認されましたが、これはオスマン帝国の解体に等しい内容でした。

すると前述のアタテュルク氏らはこれに反対し、1923年にトルコ共和国が成立すると、ローザンヌ条約が新たな講和条約として締結され、クルド人の独立に向けた動きは一転して否定されました。

トルコ共和国建国後のナショナリズムの高揚により、トルコ的イデオロギーを守るため、非トルコ系のクルド人やアルメニア人を物理的またはアイデンティティ的に排除することが目指されました

学校などでクルド語の使用が禁止され、またクルド人のための集会を開いたクルド人政治家が逮捕されるなど、厳しい取締りが続いてきました。

1980年代頃、独立国家建設を目指す勢力であるクルド労働者党(PKK)がトルコ国内で武装闘争を開始すると、トルコによってPKKは「テロリスト集団」と見なされることとなりました。

クルド人による自治や独立に向けた動きが見られたのはトルコだけでありません。

1980年代にはイラクで独立運動が発生しましたが、当時のサダム=フセイン氏の独裁政権によって厳しく弾圧されました。

またPKKはイラク北部で勢力を拡大していて、トルコによって標的とされてきました。

トルコはイラク内部のクルド勢力の対立関係に付け入る形でイラク領内での勢力拡大を目指し、度々イラク北部に侵入してきたんです。

2017年にはイラクのクルド人自治区で独立の是非を問う住民投票が実施され、圧倒的多数の賛成がありましたが、イラクやトルコが住民投票そのものを認めませんでした。

近年はPKKと和平交渉を進めていたものの、2022年4月に再びトルコ軍はイラク北部に侵入し、軍事作戦を開始しました

クルド人問題を巡るイラクへの介入は、現在進行形で戦闘が繰り広げられている問題と言えます。

クルド人民防衛軍(YPG)の戦闘員たち(写真:Kurdishstruggle / Flickr [CC BY 2.0])

トルコとクルド人との関係は、現在も続くシリアでの紛争においても大きな意味を持っています。

シリアでは、2011年に起こった「アラブの春」と呼ばれる現象に端を発して、反政府勢力や過激派武装勢力とシリア政府当局との間で激しい戦闘が始まりました。

紛争が複雑化する中、2014年からはイスラム国(IS)が出現し、シリアの大部分を掌握するまでに急成長しました。

バッシャール・アル=アサド政権はISに対抗できる戦闘力を持つシリア国内のクルド人武装組織との共同討伐を試み、シリア北部を実効支配するクルド人民防衛軍(YPG)がIS掃討で大きな役割を果たすこととなりました。

YPGは戦闘において一役買った見返りとしてシリア北部での自治権の獲得を目指し、アサド政権に要求していましたが、これを弾圧するためにトルコが同地域に侵攻しました

現在も、再び介入に向けて準備を進めています

トルコは、他国や一部地域でクルド人勢力が独立を果たせば、自国のクルド人も同様に自治要求を高めるのではないかと警戒していて、クルド人に対する厳しい姿勢を崩していません。

このようにクルド問題は、シリアやイラクとの領土問題も絡み、解決にはほど遠い状況が続いていると言えます。

コラム

トルコから日本に逃れてきたクルド人は一人も難民申請が認められておらず収容所で過酷な扱いを受けたり、貧困に苦しむ人々も問題になっています。

私が今月日本で出会ったトルコ国籍のクルド人家族は、日本に来てから、クルドの楽器で歌を歌っていたことをトルコ政府が ”テロリズムの伝播”だとして訴え、帰国すれば逮捕される状況です。また、3歳の子供は生まれたときから心臓の重い病気を抱えていて、現在もペースメーカーをつけています。VISAがあったときは仕事もできて健康保険もあったから薬や入院費用も払えていたけど、難民申請が却下され、仮放免の状態となってしまった現在、就労も許可されず、健康保険も無効になってしまい、薬も分割で払える分だけもらっている状況で、予定している入院もできるかわからない状況です。保険があるときとないときの領収書を見せてもらい、たしかにこんな高額、働かずに払えるわけない、パスポートも在留許可証もパンチで穴があいていて、なぜこの人たちが難民として認めてもらえないんだろう、帰国することも他国にも行くことができないのに、就労も許されず、子供の医療費も払えないなんて、日本であっていいことなんだろうか、ウクライナの避難民にはすぐにVISAを出して、なぜこの人たちには出さないんだろう。。涙が止まりませんでした。

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