平和の祭典?メディアが伝えないオリンピックの非平和的な真実とは?(2)

「平和」を強調するオリンピック報道

前回の記事で、オリンピックの非平和的な性質について見てきました。

では、日本のメディアはそれらを報じているんでしょうか?

GNVが、2016年から2020年までの5年間で、毎日新聞の朝刊及び夕刊で報道された記事のうち、「平和」と「オリンピック」の関係について言及しているものを取り上げ、その記事の内容を調べました(※5)。

その結果、156記事も該当しました。

以下のグラフは、オリンピック報道に登場する「平和」という語句がどのような意味合いで使用されているかを調べ、その割合を示したものです(※6)。

最も多かったものは、「北朝鮮の協力」を平和的とする記事で、全体の24.4%を占めました。

具体的には「平昌冬季五輪を南北関係改善と朝鮮半島の平和の転機としなければならない」(2018/1/11)(※7)といったものです。

該当した38記事はすべて、先に述べた2018年平昌オリンピックにおける韓国と北朝鮮の合同チームに関するもので、2016年から2018年までの間に集中していました。

次に多かったのは「世界平和」を指すものです。

具体性に欠けた分類のように思われるかもしれませんが、まさにその通りです。

特定の状態や地域を指して「平和」と表しているのではなく、漠然とした概念として使用されているものを分類しました。

「国際オリンピック委員会(IOC)は憲章などでスポーツを通じた平和の推進、男女平等の実現、環境への配慮などをうたっています」(2019/12/31)といった具合です。

今回の集計では全体の14.7%、2番目に多い分類にとどまりました。

でも、1番多かった「北朝鮮の協力」は特定の時期に集中していたのに対し、この分類に該当する記事は時期に関係なく散在していました。

このことから、集計期間を延ばせば「世界平和」に該当する記事が最も多くなる可能性があります。

続いて「戦争がない」という意味で使用されているものが14.4%でした。

これは戦争がなくなったからこそオリンピックが開催できる、といった意味合いで使用されるものが多く見られました。

実際には現在も世界各地で戦争・紛争が続いていますが、多くの場合「第二次世界大戦の終戦=戦争の終結」としていました。

4番目に多かったのは「核兵器がない」ことを平和的とするもので全体の8.0%を占めました。

この言葉が使われるのは特に夏季五輪の時期に集中していました。

その理由としては、原爆記念日が夏季五輪(今回の集計では2016年リオ・デ・ジャネイロ五輪と東京五輪が該当)の開催期間と重なっていたことが考えられます。

「平和の祭典である五輪を機に『核なき世界』を世界に訴える」(2020/1/7)などがその例です。

また同じ核兵器についてでも「核実験が行われない」という意味で使用している記事もありました。

次に「政治的介入がない」という趣旨で使用されていた記事、そして「難民への配慮」がなされている状態を「平和」とする記事がそれぞれ5.8%でした。

また「難民への配慮」に該当された9記事のうち、6記事が難民選手団に関するものでした。

さらに「国家間の対立がない」状態を意味するものが5.1%と続きます。

その他にも、人種差別や性差別、地震などの災害、テロや事件、ドーピングがない世界を「平和」と表現するものがあったほか、2019年から2020年にかけては新型コロナウイルスの収束を意味するものも見られました。

これは「新型コロナウイルスが収束した世界=平和」とするものです。

さらに、文脈と関係なく「平和」という文言が使用されているものが7記事存在しました。

「新型コロナウイルスの感染拡大で、『平和の祭典』と呼ばれるオリンピックの東京大会が延期されました」(2020/8/24)など、平和に言及する必然性がない記事です。

また聖火には非平和的な起源があるにも関わらず、聖火を「平和の象徴」「平和の火」「平和の灯」などと表記する記事が14記事も存在しました。

ここから分かるように、「平和」本来の意味とは異なる使い方をされているものや、「世界平和」のように非常に漠然としていて具体性に欠けるものが多く存在しました。

これは「オリンピック=平和」というイメージが先行してしまい、安易に「平和」という言葉を使用しているのではないかと考えられます。

カナダのオリンピックスタジアム前に並べられた国旗(写真:Márcio Cabral de Moura / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])

メディアが報じているのは真のオリンピックか

次に、メディアが平和とオリンピックを結びつけるとき、それを「どのように」報じているのか、その表現方法に着目してみましょう。

「平和」を強調することを疑問視する記事があるのか、あるいはそれを疑うことなく「オリンピック=平和」だと断言しているのか。

この章では、報道がどのような表現を用いているかを分類し、考えてみましょう。

まず、この記事で述べているようなオリンピックの非平和的側面に言及する記事は5年間で一つもありませんでした。

どの記事も平和とオリンピックの関係を肯定していましたが、その表現方法は3つのタイプに分類することができます(※8)。

まずは「断定」。

「平和の祭典である五輪」(2020/1/6)や「オリンピックの目的は世界の平和を確立、維持することだ」(2016/2/11)など、オリンピックの平和性を断定しているものを指します。

次に「伝聞」。

「平和の祭典と呼ばれるオリンピック」(2020/8/14)など伝聞の体裁ととっているものを分類しました。

これは「断定」ほど強く言い切ってはいないものの、平和性を支持する新聞社のスタンスを読み取ることはできます。

そして3つ目が「引用・意見」。

こちらは新聞社のスタンスに関係なく、第三者の言葉として報じているものを指します。

記者会見やインタビューなどでの発言だけでなく、アスリートが書いたコラムなどで述べられた意見など、個人の考えであれば「引用・意見」としました。

最も多かったのは「断定」です。

156記事中86.5記事で断定的な表現が使用されており、これは全体の55%に当たる。次に62.5記事、全体の40%が「引用・意見」でした。

そして「伝聞」に該当したのはわずか7記事で全体の5%でした。

このことから分かるように、毎日新聞は多くの記事でオリンピックが平和の祭典であると断定的に報じています。

これは、メディアがその平和性に全く疑問を抱いていないということを示しています。

「伝聞」を用いる中立的な記事が少ないのもその傾向を裏付けています。

そして2番目に多かった「引用・意見」。

なぜこのタイプに該当する記事が多いんでしょう?

オリンピック憲章には「平和の祭典」や「平和の象徴」といった文言は登場しないにも関わらず、多くの人がその言葉を口にします。

その背景にメディアの影響があるのは間違いありません。

メディアで見聞きした表現を、多くの人が使用していると考えられます。

したがって、メディアが「断定」記事を書き、「オリンピック=平和」という「常識」を広めれば広めるほど、人々もそれを享受し「引用・意見」も増加するという相関関係があると言えます。

国旗掲揚の様子(写真:Sander van Ginkel / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0])

オリンピック報道におけるメディアの在り方

本来メディアに求められるのは、中立的かつ客観的な報道ではないでしょうか。

「オリンピック=平和」を強調するのではなく、様々な観点からオリンピックを見つめ、その真の姿を映し出す責務があります。

でも、それを阻む2つの大きな壁があります。

まず、メディアが自国中心主義の思想に大きく影響されていることです。

国外で起きるあらゆる事故や事件を報道するか否かは、それ自体の深刻さや規模ではなく、自国の国民が関わっているかどうかで判断されます。

スポーツ報道ではその傾向が特に顕著で、自国の選手に強く着目し、讃え、応援するというスタイルを取っています。

これは、自国の情報を知りたいという読者・視聴者の需要に応えているのですが、その需要に応えることで更なる需要を生んでいると言えます。

この構図が変わらない限り中立的かつ客観的な報道はむずかしいでしょう。

もう一つの壁は、オリンピックがメディアにとっての大きなビジネスチャンスとなっていることです。

人々の関心が高いオリンピックは、視聴者・読者を増やす好機であり、企業等からの広告掲載やコマーシャル放映の需要もとても高いです。

つまり、オリンピックはメディアにとって恰好の収入源です。

そのため、多くの報道機関が五輪スポンサーになっていて、朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞、読売新聞は東京五輪の「オフィシャルパートナー」、産経新聞、北海道新聞は「オフィシャルサポーター」に名を連ねています。

同系列のテレビ局もその影響下にあることは言うまでもありません。

毎日新聞のホームページ(写真:Kyoka Maeda)

このような事情から、メディアはオリンピックを客観的に捉えたり、非平和的側面を指摘するような記事を書きません。

むしろ、無批判に受容し盛り上げる役割すら担っています。

中立であるべき報道機関がスポンサーになっているという矛盾を指摘する人もいません。

メディアがスポンサーをする是非についてここで深堀はしませんが、そのことが中立かつ客観的な報道を阻害していることはかんたんに想像できますよね。

コラム

オリンピックを取り巻く現状を様々な角度から報道することは、その問題点を浮き彫りにことにつながります。

それは一見オリンピック開催で盛り上がる人々を興ざめさせることのように思うかもしれません。

でも、今後の課題を見つけ出すことができれば、本当の平和とは何か、平和な世界とは何かが見えてくるのではないでしょうか。

今後も、オリンピック報道におけるメディアの動向に注視していきたいと思います。

※5 毎日新聞のオンラインデータベース「毎日新聞 マイ索」において、2016年1月1日から2020年12月31日までに東京で発行された朝刊・夕刊を集計。見出しまたは本文に「オリンピック」と「平和」あるいは「五輪」と「平和」の2つのキーワードを含む記事のうち、本文表示ができないもの、オリンピックの平和性と無関係であると読み取れたものを除いて集計した。

※6 それぞれの記事を平等に計数するため、1つの記事で2つの意味の「平和」が使用されている場合、それぞれ0.5記事として集計した。例えば、1つの記事の中で「北朝鮮の協力」と「戦争がない」という2つの意味で「平和」が使用されていた場合、「北朝鮮の協力」を0.5記事、「戦争がない」を0.5記事としている。なお、今回の集計では3つ以上の意味の「平和」が登場する記事は存在しなかった。

※7 本記事で引用した記事は以下の通りである(引用順, 全て毎日新聞)
2018/1/11(東京朝刊)「文・韓国大統領:慰安婦合意「受け入れ困難」 枠組みは変えず」

2019/12/31(東京朝刊)「質問なるほドリ:なぜ五輪でSDGs? 持続可能開発で大会PR=回答・田原和宏」

2016/8/6(東京朝刊)「Features・きょうの主役:ヒロシマから吹く風 被爆3世、9秒台へ駆ける 陸上・山県亮太(24)」

2020/8/24(東京朝刊)「ニュース検定に挑戦:今回は2級 オリンピック開催がいったん決まったものの、戦争の影響により、開かれなかった大会は?」

2016/8/12(東京朝刊)「AMIGO・多様性の祭典:リオ五輪 射撃・ジョージア ニーノ・サルクワゼ(47)、ツォトネ・マチャバリアニ(18)」

2020/2/15(東京朝刊)「ボクシング:女子ボクシング 研究にも競技にも闘志 五輪目指す、鬼頭選手」

2020/8/14(東京朝刊)「質問なるほドリ:ハトはなぜ平和の象徴? 「ノアの箱舟」に逸話 ピカソが定着に一役=回答・熊谷豪」

※8 「平和」の意味の集計と同様に、1つの記事の中で2つの表現が使用されている場合、それぞれ0.5記事として集計した。なお、今回の集計では1つの記事の中に3つ全て表現が登場する記事は存在しなかった。

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