みなさんこんにちは、コクレポです。
昨日2021年4月21日、パキスタン南西部バルチスタン州・クエッタの高級ホテルで爆発が起きて、少なくとも4人が死亡、11人が負傷しました。
ここ数カ月、過激派組織の攻撃は激化しています。
バルチスタン地域はたくさんの問題を抱えているんですが、あまり注目されません。
今回の記事では、このバルチスタンでの紛争を解説したいと思います。
紛争の歴史的背景
バルチスタンは、いろんな国の支配下に置かれてきました。
18世紀にバルチスタンを支配していたサファヴィー朝ペルシャとムガール帝国が崩壊すると、バルチスタンは独立します。
でも19世紀の終わり、バルチスタンはイギリスにより再び植民地化されます。
バルチスタンは、4つの藩王国、カラート藩王国、ハラーン藩王国、ラス・ベラ藩王国、マクラーン藩王国に分割され、イギリス領インドの支配下に置かれました。
この後1947年、イギリス領インド帝国が解体し、イギリスからパキスタンが独立した際、パキスタン初代総督ジンナーは、カラート藩王国を独立した主権国家として認めました。
でも、ジンナーは考えを変えて、カラート藩王国に対して、パキスタンに加わるよう要求します。
パキスタンとカラート藩王国は交渉を続けましたが、解決できず、1948年にパキスタン政府軍がバルチスタンの沿岸地域に侵攻しました。
この軍事的圧力を受け、1948年3月28日、カラート藩王国は降伏し、同年4月1日にパキスタンに併合されました。
この併合が行われてから、現在まで、パキスタン政府と独立派の間の紛争が繰り返されているんです。
紛争の経済的背景
でも、現在の紛争を引き起こしているのは歴史的背景だけではありません。
国内での経済的状況も、バルチスタンで起こっている紛争に大きな影響を与えています。
バルチスタンはパキスタンの中でも発展が遅れている地域です。
バルチスタンに住む人々の52%が、最低生活基準を下回る生活を送っています。
また、教育も遅れていて、識字率はわずか29.8%で、パキスタンの平均である39.7%よりもさらに低いです。
このようなバルチスタンの経済的状況は、中央政府が行っている不平等な経済政策が原因の1つにあります。
資源の問題
特に天然ガスについては、パキスタン全体での天然ガスの産出量のうち23%がバルチスタンから供給されています。
他にも、金や銅、クロム鉄鉱、大理石などの鉱物が採掘されています。
でも、バルチスタンの人々がこれらの資源の恩恵を受けることはできません。
天然ガスの大部分をバルチスタンから供給しているにもかかわらず、バルチスタンの都会部にしかガスは供給されず、田舎の地域はガスの供給を受けられないんです。
こうした不平等に、バルチスタンの人々は不満を募らせています。
中国・パキスタン経済回廊(CPEC)
さらに、中国とパキスタンの間で進められている「中国・パキスタン経済回廊(CPEC)」も、バルチスタンの人々の不満を募らせる原因となっています。
CPECは中国の「一帯一路」構想のひとつです。
鉄道や道路、パイプラインを整備して、中国の新疆ウイグル自治区にあるカシュガルと、バルチスタンにあるグワダル港を結ぶ計画です。
パキスタン政府は、この計画によってインフラ整備を進め、経済成長につなげることを目的としています。
でも、バルチスタンの人々は、CPECの恩恵を受けることはできません。
このCPECの計画の要所となっているグワダル港は中国の会社によって経営されています。
向こう40年は、この中国の会社がグワダル港での収入の91%を受け取るため、バルチスタンの人々に還元される利益はごくわずかなんです。
乱立する武装勢力
こうした経済的、歴史的要因を背景として、現在バルチスタンでは武装勢力がパキスタンからの独立を求めて活動をしています。
ここでは、3つの主要な武装勢力、バルチスタン解放戦線(通称:BLF)、バルチスタン解放軍(通称:BLA)、バルチスタン共和国軍(通称:BRA)を中心に解説します。
バルチスタン解放戦線(通称:BLF)
BLFはバルチスタン最南部、マクラーンで活動を行う、最も活発な武装勢力の1つです。
1964年に結成されたBLFも、パキスタンからの独立を求める武装勢力です。
BLFは、イラクからの支援をうけつつ、1973年から1977年にかけてバルチスタン独立運動を行いました。
1977年にこの紛争は終結しましたが、12,000人もの犠牲者が出ました。
その後、BLFはしばらく表舞台での活動はしてきませんでした。
でも2004年、BLFはグワダルの港で労働者として働いていた中国人を殺害し、その後繰り返し攻撃を行っています。
バルチスタン解放軍(通称:BLA)
BLAは2000年に、パキスタン政府からの独立を目指して形成されました。
結成された直後、BLAはパキスタンの軍人や警察官を標的にして、市場や鉄道で攻撃しました。
こうした攻撃をうけて、パキスタン政府軍は軍備を追加で配備したり、2006年にはBLAの指導者を殺害したりするなどして対抗しました。
指導者の殺害はBLAによる攻撃を過激化させました。
でもこの過激化こそが、政府軍の更なる介入を正当化することになりました。
バルチスタン共和国軍(通称:BRA)
BRAは2006年に結成されました。
中央政府からの強い支配と、資源の独占に対する不満から、パキスタンからの独立を訴えました。
彼らはバルチスタンの資源をバルチスタンの人々に「取り返す」ために、パキスタンの公安部隊や公共交通機関を標的として攻撃を行っています。
これら3つの武装勢力とパキスタン政府は、2008年9月に停戦合意を結びました。
でも、わずか4か月後の2009年1月に3組織は停戦合意を破棄しました。
武装勢力は、バルチスタンからの軍隊の撤退などを求めていたんですが、政府はこれに応じず、和平合意に向けて交渉に取り組まなかったのが原因とされています。
その後現在に至るまで、3組織をはじめとするさまざまな武装勢力が、パキスタン政府からの独立を主張して攻撃を行っています。
紛争の下で起こる抑圧
このような紛争が続く中、パキスタンは独立派に対して抑圧を強めています。
パキスタン政府によるこの抑圧は、重大な人権侵害につながっています。
失踪・不当な逮捕・殺害
その1つが、バルチスタンの指導者の失踪や不当な逮捕です。
さらに、逮捕だけでなく殺害される場合もあります。
2011年から2016年の間に、バルチスタンでは、少なくとも936人の遺体が捨てられているのが発見されました。
これはパキスタン政府が採っていると考えられていて、「殺して捨てる」(“kill and dump”)政策と呼ばれています。
こうした抑圧に対して失踪者の家族は、2014年に国連の介入を求めて、バルチスタンの都市クエッタからパキスタンの首都まで行進しました。
また、2018年7月に行われた選挙の影響もあって、バルチスタンでの失踪や殺害などの状況はさらに悪化しています。
選挙を目前にした6月、バルチスタンの多くの村で失踪、殺害が相次ぎ、79人が失踪、24人が殺害されました。
脅かされる報道の自由
バルチスタンのジャーナリストたちは、暴力、逮捕、そして殺害の危険に直面しています。
バルチスタンでは、過去15年間に40人ものジャーナリストが殺されているんです。
政府と武装勢力の板挟みとなって、報道機関は自由な報道ができなくなっているんです。
この報道の制限によって、バルチスタンの状況は世界に共有されず、人々の目に触れないところで多くの人権侵害が放置されたままになっています。
コラム
みなさん、バルチスタンって名前聞いたことありましたか?
バルチスタンの人々がまとめて殺されたり、こんなに大きな問題が起こっているのに、バルチスタンでの状況は注目されていません。
無関心のままでは、バルチスタンの状況を変えるのはむずかしいです。
解決に向かうためにも、「○○でテロが起きました。何人が死にました。」だけではなく、なんでそんな問題が起こっているのか、その背景を知ってほしいなと思います。