みなさんこんにちは、コクレポです。
W杯盛り上がってますね。
明日のコスタリカ戦いまからわくわくしています。
ということで今回は、コスタリカについて記事を書いてみます。
世界の国々の平和のレベルを測るランキングで、コスタリカはランキング全体の161カ国中28位、ラテンアメリカ諸国の中では1位にランクインしています。
このランキングでは暴力犯罪や殺人件数、武器の輸入量、紛争による死者数などをスコア化していて、コスタリカは内外の紛争の発生率の低さなどで、より平和に近いとされるスコアを獲得しています。
コスタリカは国軍も廃止しています。
なぜコスタリカは国軍を廃止したのか、またその後どうなったんでしょうか?
武力紛争と国軍の廃止
コスタリカはパナマと国境線の位置をめぐって揉めていて、1914年にアメリカ司法長官が仲裁を行い、両国の国境を画定する判決を出しました。
でも、パナマは撤退しませんでした。
1919年、コスタリカはパナマが撤退しないことを理由にこの地域に侵攻します。
パナマもそれに応じ、両国間で紛争が起き、最終的にはパナマがこの地域を獲得しました。
ですが、プランテーションのための土地を拡大したいユナイテッド・フルーツ・カンパニーの利益のためにアメリカが介入し、アメリカの圧力に屈したパナマはこの地域をコスタリカに譲りました。
またアメリカの介入を得たことで今回の紛争を解決したコスタリカでは、国外からの脅威に対しての国軍の役割は減少していきます。
これが国軍の弱体化につながりました。
1948年12月1日、国軍廃止がフェレール大統領によって宣言され、1949年11月8日に施行された憲法に記載されました。
なぜ国軍廃止にしたんでしょう?
1つには、軍にはフェレール氏の政策に反対する幹部がいて、政策執行の妨げになることが予測されたからです。
さらに、軍は依然として独裁政権を続けたい方針で、フェレール氏と合意できなかったことも理由です。
さらにパナマとの一件でアメリカが介入して以降、従来の軍隊は弱体化していて、国内外の防衛面で意味を成していなかったことで国軍廃止がしやすい状況下でした。
廃止後の安全保障システム
では国軍廃止後、コスタリカはどのように自国の安全保障を行っていったんでしょう?
フェレール氏は1949年にそれまで国軍として機能していた組織を、1,000人の警察官と、700人の沿岸警備隊で構成される市民警備隊へと再編成しました。
それまでコスタリカには正式に訓練された警察組織は存在せず、治安維持などは全て軍隊の仕事でした。
ゆえにこの時初めてコスタリカ警察が創設されたことになります。
市民警備隊の士官は各行政組織から新しく指名され、以前の軍における階級は全て変更されました。
また大佐より上の階級を設けないことで警備隊内での階級争いを防ぎ、立場が強い警官を生み出さないなどの変更を加え、軍隊としての力を排除しました。
その後、警察組織は強化され続け、1949年時点で1,200人だった市民警察の人数は1978年までには4,500人に増えます。
また、1949年から1964年までの間で1,600人以上のコスタリカの警察官がアメリカでの軍事訓練プロジェクトに参加しました。
さらに1964年には正式な警察学校がコスタリカに設立され、軍隊としてではなく、国内の治安維持を目的とする警察組織として訓練されていきました。
コスタリカでは警察はライフルや機関銃などの小型武器のみ保持していて、多くの国の軍隊が持つような戦車・装甲車、戦闘機、大砲は持っていません。
小型ヘリや観察用のセスナ機を持っていますが、ヘリコプターなどに関しては不足していて国内の特定の地域にアクセスしにくいなどの問題もあります。
その後、コスタリカではより洗練された警察組織が設立され始めます。
1982年、特殊部隊である特別介入ユニット(UEI)が設立されました。
警察部隊から選ばれた約70人の警官が高度な訓練を受けている組織で、軍隊ではないと政府は説明しています。
でも2014年にはアメリカの軍事訓練に派遣されるなど本格的な軍事演習も行われています。
この派遣を非難する議員もいて、コスタリカでも物議を醸しています。
コスタリカの課題
国軍を廃止したとするコスタリカではありますが、国内外からの軍事的脅威がなくなったわけではありません。
その一つとして隣国ニカラグアとの諸問題があります。
1948年の12月1日に国軍廃止を宣言したわずか11日後、前大統領であるガーディア氏を支持する組織がニカラグアからコスタリカに侵攻しました。
しかしコスタリカ国内から同調する声は起こらず、非常事態だとして国内で集められた志願兵で構成された軍隊によって抑えられました。
軍事的危機は免れたものの、ニカラグアとコスタリカの対立はこの時点で決定的に深まります。
1954年にはニカラグアの大統領であるデバイレ氏が自身の暗殺を企てた革命家たちをコスタリカが支援したと非難して、両国の緊張関係が高まりました。
またニカラグアとの問題以外にも他国の組織などとの安全保障問題があります。
1980年代からコスタリカはコロンビアからアメリカへの麻薬密輸入の通過地点として利用され始めました。
コロンビアの反政府組織であるコロンビア革命軍(FARC)の関与があり、コスタリカ国内の業者と連携して麻薬を運び込むなど、組織的な犯罪が行われていました。
またFARCはコロンビア政府から隠す目的で資産などをコスタリカに運び込むなど、国境を超えて活動しています。
平和な国へ
以上のように様々な問題を抱えつつも、コスタリカでは国軍が復活する気配はありません。
また、他の方面においてもコスタリカは自国の平和ブランディングを推し進めてきました。
その一環として、コスタリカでは国連平和大学が設立されました。
国連平和大学とは平和に関する研究に特化した高等教育機関で、1970年代にコスタリカ政府が積極的に働きかけたことで、1980年に国連総会で設立が承認されました。
大学に委託されている国連機関で、平和や紛争研究などの分野を学ぶことができます。
また平和のための外交的な手段にもコスタリカは積極的な姿勢を見せてきました。
1980年代、中央アメリカの多くの国々では冷戦を背景に共産主義と資本主義との闘争が繰り広げられていました。
この政治イデオロギーをめぐる争いは、一方のイデオロギーを支持する政府ともう一方のイデオロギーを支持する反政府勢力との間で武力紛争に発展することも多く、アメリカとソ連がそれぞれの側に対して支援や軍事介入をしてきました。
その一例であるニカラグアでは武力紛争が激化し、アメリカは社会主義政党であるニカラグアのサンディニスタ大統領率いる政府を転覆させようと、サンディニスタ政権から追放された人々で構成されたニカラグア民主戦線(FDN)を支援しました。
またアメリカは、ニカラグアの隣国であるコスタリカに対して自国が支援している反政府勢力の駐在などを許可する協力を求めました。
それに対して1983年にコスタリカ大統領となったモンゲ氏はコスタリカの中立を宣言するなど介入の意思を見せませんでした。
1986年、アメリカがコスタリカに再度協力を求めましたが、当時コスタリカ大統領であったオスカル・アリアス・サンチェス氏も拒否しました。
代わりに中央アメリカにおける地域平和計画を提案し、中央アメリカで進行中の紛争の停戦、自由で民主的な選挙の実施、政治犯の恩赦を求めました。
これらの計画にはグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアがコスタリカと共に署名しました。
アメリカの反対などもあり、この協定は実行には至らなかったものの、1987年にはアリアス・サンチェス氏はノーベル平和賞を受賞しました。
この出来事でコスタリカは自国の平和のみならず、中央アメリカにおける平和も促進する姿勢を見せたとされています。
国軍廃止によって教育・医療・インフラ設備に多くの投資ができるようになったコスタリカは、ラテンアメリカの中で乳児死亡率が2番目に低く、就学率は2021年9月時点でラテンアメリカの中でトップです。
コスタリカは比較的充実した国民皆保険制度を提供しており、国際保健機構(WHO)は中央アメリカの中で最も優れた医療システムを持つ国はコスタリカであるとしています。
このような福祉の充実の影響もあってか、1920年から1949年のコスタリカのGDPは年間平均で1.3%の上昇率であったのに対して、1951年から2010年にはコスタリカのGDP上昇率は2.3%も増えました。
この数値はラテンアメリカの中で2番目に大きい数値です。
また、その他に環境保全にも力を入れていて、2050年までに化石燃料の依存をなくすことを目的とした国家脱炭素計画を2019年から開始しています。
このように平和を前面に打ち出しているコスタリカですが、国内に目を向けると課題も多いです。
平和レベルで様々な指数が用いられているように、平和は軍事的な側面だけでなく国内の治安などの国内情勢とも深く関わっています。
例えば、国内において犯罪グループの勢力が拡大していることはコスタリカにとって不安材料となっています。
これらの犯罪グループは違法な金採掘、石油の盗難や上に述べたような麻薬取引を活発に行っています。
コラム
国軍を廃止し、平和国家として役割を果たすことは簡単なことではありません。
隣国ニカラグアとの対立や、麻薬組織の拡大という脅威に晒されつつ、国軍を持つこと以外のやり方でコスタリカはこれらの問題に対処しようとしています。
明日のコスタリカ戦に向けて、コスタリカのこと少しわかってもらえると嬉しいです♪