海を渡る難民は何から逃れてる?:移民・難民の過酷なルート

みなさんこんにちは、コクレポです。

最近、移民の男の子が海を泳いで越境しているニュースが報道されました。

スペイン領に移民が殺到 ペットボトルで越境する少年(2021年5月20日)

ペットボトルをたくさんつけて泳ぐ姿にびっくりした人も多いんじゃないでしょうか?

でも、これは移民・難民の過酷な旅の一部に過ぎません。

世界にはたくさんの移民・難民がいますが、何から逃れようと、どこからやって来たんでしょうか?

その道のりの中でどんな困難に直面したんでしょうか?

このような部分が注目されることは少ないです。

ヨーロッパを目指す移民・難民の多くはシリアやイラクなどで発生し、トルコやギリシャを経由するルートを通っています。

そのほかにも、アフリカで発生しサハラ砂漠を渡るルートでヨーロッパに向かおうとする移民・難民の人数もとても多いです。

そしてこのサハラ砂漠ルートは危険に満ちあふれています。

明確に算出することは難しいものの、サハラ砂漠で発生した移民・難民の死者数は、実は地中海を渡る中で死亡した移民・難民の数の少なくとも2倍であると言われています。

この記事では、この危険なサハラ砂漠ルートを通るアフリカの移民・難民の実態を扱います。

サハラ砂漠で膝をついて座っている移民。お祈り中だろうか。(写真:giomodica /Wikimedia Commons [ CC BY 3.0])

移民・難民はどこからやってくる?

武力紛争、抑圧的政権、貧困などが原因で、アフリカは多くの移民・難民を生みだしています。

でも、難民のほとんどは隣の国や近隣諸国に逃れ、アフリカ大陸内にとどまった状態で国に帰れる日を待っていて、ヨーロッパに移動するのはわずか3.3%程度です。

まず、西アフリカでもっとも多くの移民・難民を発生させているのはナイジェリアです。

ナイジェリアでは、チャド湖付近でボコハラムという武装組織と政府や周辺国との紛争が続き、ナイジェリア近辺の一般市民が避難しています。

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また、マリも紛争の問題を抱えています。

この紛争は北部で独立の実現を求めるツアレグという遊牧民族と、その独立を阻止しようとする政府との戦いから始まりましたが、アルカイダや周辺国でも活動している過激派組織が紛争当時者になって参戦したため、戦況が悪化しました。

次に、西アフリカ以外の難民発生国で目立っているのが、紅海に面するエリトリアです。

独裁政権で、最近まで敵対関係が続いていたエチオピアとの戦争に備えて無期限の徴兵制が課されたり、報道の自由度ランキングでは北朝鮮に次ぐワースト2位であったり、国民の自由や権利はないがしろにされ、難民が数多く発生しています。

また、極度の貧困から逃れようとして西アフリカなどの国々からヨーロッパを目指す移民の数も多いです。

ナイジェリアもそうですが、ギニア、セネガル、ガーナなどで、貧困と、それに伴って教育やまともな医療が受けられないことなどが主な原因として挙げられる。

また、あまいチョコレートの苦い裏側の記事でも書いたように、世界最大のカカオ生産国コートジボワールで農業に従事する人々は、ココアの価格変動の影響を受けやすく、またアンフェアなトレードで低賃金しか得れず苦しんでいます。

若者の雇用がほとんどなく、状況を打破するためにヨーロッパに渡る人々は、年々増え続けています。

このようにさまざまな理由で苦しめられた人々が、リスクと全財産をはたいてヨーロッパを目指しています。

移民・難民はどのように砂漠を越えてやってくる?

移民や難民の多くはリビアに集まり、リビアから船に乗りもっとも近いイタリアへ渡ります。

このルートで2016年には13万人がたどり着いています。

リビアはもともとアフリカの中では比較的裕福で、石油で潤うリビアにはアフリカ諸国から多くの労働者が移住していました。

さらに当時の最高指導者だったムアンマルアル・カダフィは、ヨーロッパ内での移民・難民の急増を防ぐため、移民・難民をアフリカ大陸に引き留めることを条件にイタリアから多額の契約金を得ていました。

2011年にカダフィ政権が倒れ、暫定政府が樹立されたものの、新政府では全国の領土を統治することができませんでした。

その結果、リビアは実質的に複数の民兵・武装勢力の支配下に陥り、移民・難民が大量に流出することになりました。

また、密輸ネットワークや犯罪組織が発達し、収益性の高いビジネスとして人身売買の仲介役を担う人が増えました。

リビアのカダフィ政権崩壊前、セブハ空港で最高指導者を讃える看板(写真:David Stanley(Billboard) /Wikimedia Commons [ CC BY 2.0])

移民・難民は祖国を離れて、密輸業者のトラックなどに乗せられてサハラ砂漠の中を集団移動し、いくつかの中継地を経てリビアに向かいます。

このルートは古くから発達していたサハラ交易が基になっていて、かつて交易で栄えた交通の要所が、現代でも移民・難民の移動の中継地になっています。

主要な中継地の一つであるニジェールの都市アガデスは、過激派や武装集団の台頭で都市が衰退すると、交通の要所としての利点が活かされ、重要な密輸ハブになりました。

そしてテネレ砂漠のツアーガイドとして、長い間観光産業に携わってきた遊牧民族のメンバーは仕事を取り合い、多くが密輸業者に変わりました。

他にも、マリの首都バマコ、ニジェールの首都ニアメは、それぞれ空路や陸路の要所として、また経済の中心地として、多くの移民・難民を集約しています。

BBCのデータを元に作成

移民・難民はどのような被害に遭う?

移民・難民は祖国を出発したのち、さまざまな国を経由して、主にリビアから地中海を渡りヨーロッパを目指します。

彼らがヨーロッパに到達するのには数か月、時には数年もかかる場合もあります。

この長期間の中で、移民・難民は砂漠内の移動だけでなく、生活費や交通費を稼ぐための労働も行っていますが、その中で強盗や性被害、人身売買、暴行など、常にさまざまな危険と隣り合わせで暮らしていかなければなりません。

そしてそのようなリスクを背負ったとしても、ヨーロッパにたどり着ける人はわずかしかいないんです。

まず、移民・難民はさまざまな国を経由するため、常に不法入国で逮捕される危険性があります。

そこで移動の各段階でブローカーに依頼し、安全な道のりを探します。

でも、砂漠という厳しい環境の中で、乗車しているトラックが故障して歩かざるを得なくなった時、食糧や水分が尽きてしまったり、悪徳なブローカーに置いていかれたりしてそのまま死んでしまう場合もあります。

また、政府や軍によってルート移動を妨げられる場合もある。

アルジェリアは移民・難民の流入を防ぐため、サハラ砂漠を移動中の移民・難民を2016年から2017年にかけて13,000人以上も追放しました。

妊娠中の女性や子供ですら、食べ物や水を与えられずに追い返されてしまいました。

トラックで砂漠を移動する移民(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid Operations /Flickr [ CC BY-SA 2.0])

砂漠を渡る途中、中継地の難民キャンプなど人の集まる場所に着いても安心はできません。

衛生状態の悪い住環境に耐えなければならなかったり、頻発する強盗や性暴力の被害から常に身を守ったりしなければならないのです。

またリビアでは、不法入国などで逮捕された場合、留置所を運営している民兵によって協力している密輸業者に売り飛ばされる被害も起きています。

中継地ではこのような危険から身を守りながら、次のブローカーを探したり、ブローカーに請求される高額な資金を集めるべく働いたりします。

もともとの所持金が少ないうえに、ブローカーから不当な額を請求されることも多々あるため、中継地での滞在は長期にわたります。

低賃金で体力を要する日雇い労働で、難民や移民は安い労働力として利用され、移動に必要な金額を稼ぎ切れず、ずっと仕事をやめられない人もいます。

中継地を発つ際に、「ヨーロッパでいい仕事を紹介する」などの誘い文句で移民や難民を騙し、実際はヨーロッパに到着した後に女性を拘束し、売春の仕事をさせるブローカーも存在します。

ニジェールの難民キャンプに集まる難民の女性たち(写真:Oxfam International /Flickr [ CC BY-NC-ND 2.0])

やっとの思いでリビアにたどり着いてからも、地中海を渡るためには更に金銭が必要なため、ここでも長期労働が待っています。

また、留置所を運営する民兵の指揮官の支配下に置かれ、搾取されたり奴隷として売られたりする被害も相次いでいます。

さらに、現在の人身売買状況:奴隷オークション開催?の記事でも紹介したように、かつての奴隷貿易のように、移民・難民が大勢の前でオークションにかけられている映像が出回り、外の世界に衝撃を与えました。

このように、移民・難民は地中海を渡る以前にも常に命の危機を経験しています。

ヨーロッパにたどり着くのは奇跡と言ってもいいほどなんです。

難民・移民だけではない砂漠ルート

もともと歴史的に大きな貿易ルートだったサハラ砂漠は、広大なうえに人の住みにくい環境であるため、砂漠に面するそれぞれの国が国土・国境線の監視・管理・統治する能力が限られていました。

いわば無法地帯になりやすい場所です。

そのため、移民・難民の移動ルートとしてだけでなく、アフリカからヨーロッパへの麻薬やタバコなどの密輸ルートや、武装勢力・過激派組織のネットワークが、複雑に絡み合っているのがこの地域です。

モーリタニアとマリの国境を通るイスラム過激派組織(写真:Magharebia /Flickr [ CC BY 2.0])

そのような背景から、サヘル地域などで活動する過激派組織が隠れて潜み、サハラ砂漠はテロを起こしやすい場所になりました。

サハラ砂漠で活動したテロリストの例として、モフタ―ル・ベルモフタ―ルという人物がいます。

モフタ―ルは砂漠ルートを利用して、武器やタバコの密輸に従事する傍ら、イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)のリーダーの一人となっていました。

AQIMから独立したのち、2013年にアルジェリア東部で外国人37人が殺された天然ガス施設への襲撃事件など複数のテロ攻撃に関与していると言われています。

また、アメリカ軍はニジェールなどにドローンの基地局を、フランス軍はマリやニジェールとリビアの国境付近に軍事基地を設立し、軍事活動を行っており、ますます緊張感の高まる地域になっています。

移民・難民はこのような緊張感のあるルートを、死と隣り合わせで移動しています。

マリの国軍とフランス軍との合同演習の様子(写真:Fred Marie /Flickr [ CC BY-NC-ND 2.0])

各国・機関の対処法

このように移民・難民が命にかかわるさまざまな被害を受けている状況を受けて、当事国はどのような対応を行っているんでしょうか?

アフリカ連合(AU)とリビア政府は欧州連合緊急信用基金(EUTF)からの資金援助を受け、2016年に国際移住機関(IOM)と共に人道的な帰還プログラム(Voluntary Humanitarian Return Program, VHR)を立ち上げました。

このプログラムでは移民の名簿登録、ヘルスケアと救済援助、心理社会的支援、地域安定化プロジェクトの推進などを行っています。

他にも、IOMは移民・難民をリビアの留置所から母国に返すチャーター便を手配していて、2018年1月から7月の間で10,950人の移民・難民をアフリカ諸国に安全に返還しました。

また、国際機関だけにとどまらず、ナイジェリア政府もリビアからナイジェリアに帰国を選択した移民や難民をチャーター便で数回送り届けています。

一方、受け入れ国であるヨーロッパ側は、VHRプログラムなどへの資金提供は行うものの、やってくる移民・難民の数をなるべく減らすことが自分たちの最重要事項であるという姿勢です。

たとえばEUは、難民として認められるか否かの判断を下す難民審査センターを、ヨーロッパ側ではなくリビア側に設置すると提案しましたが、この案はリビアの過酷な現状を考慮していないと批判されました。

広大に広がるサハラ砂漠(写真:Carsten ten Brink /Flickr [ CC BY-NC-ND 2.0])

コラム

彼らは何から逃れようとしているのか、その道のりの中でどんな困難に直面しているのかって、ほとんど報道されないですよね。

ヨーロッパに渡るとこだけが報道されて、ヨーロッパはどう思っているのかだけが報道されて、その当事者たちがどんな状況にいたのかは伝えられないっておかしいなと思います。

ヨーロッパに渡れるところにたどり着くまでにどれほどの困難があったのか、全然知らない人もたくさんいたんじゃないでしょうか?

さまざまな対策が実施されるようになり、救済される移民・難民は増えてきたものの、全体の中でみればごく僅かな数です。

移民や難民を保護したり、母国への帰還を促したりすることも重要ですが、問題の根本的な原因を取り除かれなければ、本質的には解決しません。

いろんな問題が複雑に入り混じっている中、国を超えた武力紛争や貧困問題の解決、そして世界で広がりつつある格差の軽減に取り組まなければ、この危機は収まりません。

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