みなさんこんにちは、コクレポです。
2020年9月、マレーシアのムヒディン・ヤシン現首相がクアラルンプールで行った演説で、びっくりする発言がありました。
マレーシアでは人種的な偏見に基づく政治はなくすことはできないだろうと述べたんです。
首相自らが、人種的な偏見のある政治を行っているって言ってるってびっくりじゃないですか?
マレーシアは2018年、人種差別撤廃条約を批准しようとしたとき、大きな反対デモが起こって結局まだ加盟していません。
なんでこんなことが起こってるんでしょうか?
今回は、その背景にある歴史や構造について探っていきましょう。
マレーシアの植民地支配
1509年、ポルトガルによって支配され始めてから、マレーシアはその後もオランダやイギリスなど、ヨーロッパ諸国の植民地支配を受けました。
先住民のマレー系は農業を中心としていましたが、1800年から日本軍が侵攻する1941年までの間に、イギリスの植民地政策で鉱山やプランテーションの開発が進むと、中国人やインド南部のタミル人が、労働力としてマレーシアに連行されました。
植民地支配者たちは分割統治を行って、ほとんどのマレー系は村に、中国系は町に、インド系はプランテーションで働かせるようになりました。
こうして、分割した州のそれぞれで、民族によって独自の宗教や言語を使うことになりました。
また、イギリスは植民地支配をしやすくするために、マレー系の利益や権利を守るという協定をマレー系の支配者と結びました。
独立とマレー系優遇政策
第2次世界大戦が終わり、日本軍がマレーシアから撤退してから、アジア各国で民族独立の動きが高まりました。
イギリスは、独立運動はマレーシアでも発生するだろうと判断して、部分的に自治権を認めるマラヤ連合案を出しました。
この案は、それまでいろんな形で保護を与えられてきたマレー系の優位性を否定するものだったので、マレー系はマラヤ連合案に反対して、1946年に「統一マレー国民組織(UMNO)」を創りました。
UMNOが相次いでストライキ、デモ、ボイコットをして、イギリスとUMNOの間で交渉が行われ、1948年にマレー系の優位性が確保されたイギリス領マラヤ連邦ができました。
でも、植民地政府の打倒を目指すマラヤ共産党の運動が活発になりました。
そこで、UMNOや裕福な中国系によって設立された「マラヤ華人協会(MCA)」、インド系を代表する「マラヤ・インド人会議(MIC)」と話し合い、1957年、マラヤ連邦はイギリスから完全に独立しました。
マラヤ連邦は、1963年にシンガポールとサバ州、サラワク州を加えて現在のマレーシア連邦が成立しました。
でも、マレーシアはマレー系を優遇する政策をとろうとしたのに対して、中国系が大部分を占めるシンガポールは平等政策を求めたため、2年後にシンガポールは分離独立しました。
独立後、マレーシアの政治や経済の体制の枠組みを決める連邦憲法制定の交渉において、マレー系と中国系の間で取引が行われました。
これによって、政治面、文化面に関してはマレー系に、経済面に関しては中国系に主導権の配分がなされました。
マレー系と先住民には特別な地位を付与することが明文化されていて(連邦憲法第153条)、文化面においては、マレー的価値としてマレー系が信仰するイスラム教を国教とすること(同第3条)や、マレー語を国語とすること(同第152条)などのマレー的価値を優先することが定められています。
それに対して、経済政策の立案の実権が中国系に与えられました。
独立後の政治では、UMNOやMCA、MICなどの、与党政党が連合した国民戦線(BN)が独立当初から2018年まで、与党として政権を握ることになりました。
BNの60%をUMNOが確保していて、政治面でマレー系の意見が反映されやすくなっています。
新経済政策(NEP)って?
しかし、憲法制定に関して合意はできても、民族間の問題が収まったわけではありません。
独立当時、国内人口の約半分を占めていたマレー系の多くは、いちばん貧しい層だったので、他の民族グループに対する反感を持っていました。
一方で、優遇されているマレー系に対するデモやヘイトスピーチが中国系によって繰り返されたことで、マレーシア史上最悪の民族間の衝突事件が1969年に起こりました
これは「五・一三事件」とも呼ばれていて、マレー系の青年と中国系の青年のケンカがきっかけで、マレー系のデモの参加者が暴徒化し、銃撃や放火などによって196人の死者が出ました。
五・一三事件の背景にもあった民族間の経済格差を是正するために、マレー系と先住民からなる「ブミプトラ」(マレー語で、土地の子の意味)を雇用などで優遇する政策はブミプトラ政策とも呼ばれています。
この新経済政策(NEP)は、一種のアファーマティブ・アクション(少数民族や社会的・経済的弱者の地位を改善したり、向上したりすることを目的にする積極的優遇措置。)で、事件後の1971年から始められました。
政策の基本理念は、イギリスの植民地統治がもたらした、民族ごとに職業が分けられている体制を解体しようとしたことと言われています。
NEPでは、マレー系に公教育の枠を一定数割り当てるクオーター制が用いられたり、住宅ローンの利息を減額したりするなどして、中国系との格差是正に向けた動きがとられました。
もともとは民族暴動に対応する政策だったので、20年で終わるはずでしたが、形を変えて現在まで続いています。
この経済政策が実行されて、マレーシアでは、1971年から1990年には年率6.7%の高い経済成長率を記録して、所得格差も減少しました。
国全体で見れば所得格差は小さくなっていますが、民族をもとにしたクオーター制が、奨学金や公務員の任用についても続いていることには、中国系、インド系からの不満もあります。
また、マレー系優遇政策においても、すべてのマレー系がその恩恵にあずかったわけではなく、マレー系の中でも貧困層は十分に救済されず、不満を持っています。
さらに、多くのマレー系が優遇政策に依存して、アファーマティブ・アクションなしでは生きていけないと考えていることが指摘されていて、この政策が良いのかどうかは結論が出てません。
人種差別撤廃条約の非批准を決定
マレーシアでは現在も民族間の対立はおさまってません。
2001年にはマレー系とインド系の間で多くの死傷者を出す衝突が起こって、1969年以来、最大の民族間の争いとなりました。
マハティール氏は、1981年から2003年まで首相を務めていた時は、ブミプトラ政策を取り入れていましたが、2018年の政権公約では、中国系、インド系からも支持を集めるため、多民族の維持を推進する政策を取り入れると発表しました。
首相就任後の国連のスピーチでも、人種差別撤廃条約を批准する考えを示していて、マハティール氏は「新政府がすべてのマレーシア人に富を平等に分配することを約束する」と言いました。
そうすると、経済的に苦しい立場にあるマレー系の多くが、条約に批准することによって、ブミプトラ政策が廃止されたり憲法に規定されている特権がなくなるかもしれないと不安を抱きます。
実際には、条約に批准することがすぐにマレー系の特権を定める条項を削除して憲法を改正することにつながるわけではありませんし、解釈宣言や留保を付けるなど、マレーシアの現状を考えた上で条約に加入することもできたはずです。
でも、多くの人が条約に拒絶反応を示し、抗議デモが盛んに行われ、結局、政府は人種差別撤廃条約を批准しないことに決定しました。
コラム
みなさんマレーシアって留学先として人気だったり、海外のなかではまあまあ身近に感じる国だと思うんですが、こんなことが起こっていたって知っていましたか?
人種差別を撤廃しよう!ってデモが起こることは想像しやすいですが、撤廃しないでくれ!ってこんなに大規模のデモが起こるってびっくりですよね。
植民地時代に民族ごとに職業を決められたことが、こんなに長く影響を与えてることもショックでした。
また、アファーマティブ・アクションって難しいですよね。誰かを優遇すると誰かが不満をもつことは当たり前っちゃ当たり前です。そのグループに所属しているかは、本人が決められることではないので、あまりにもこの政策の力が強かったら、いくらがんばってもそのグループに所属してるだけで報われないってことが起こってしまいます。(たとえば、ハーバード大学は普通にテストのスコアだけでみたら中国・インド人が多すぎるので、けっこう点を低く計算されてしまうことは問題になってます。)
人種差別撤廃条約を結んでない=乱暴そう、ひどい国だ・・ってイメージしてしまいますが、こういう歴史があって、こういう経済背景があるから批准してない国もあるんだ、っていうところまで知ると、国際ニュースを見る時もちょっと違う視点で見れたり、考えることができるかもしれません。
現在人種差別撤廃条約を結んでない国が14か国だけなことを考えると、結んでても差別が横行してる国はたくさんありそうですよね。
マレーシアは2020年3月に新しい首相ムヒディン・ヤシンさんが就任しました。
ヤシンさんは就任してすぐ、経済政策の一環として、すべてのマレーシア人に約620億米ドル相当を支援することを決定しました。
ヤシンさんは、民族にかかわらずすべてのマレーシア人に対する政策を立てるんでしょうか?
いろんな視点をもって、国際ニュースをフォローしてみてください。