2021年11月20日、南米のチリで行われた大統領選挙の決選投票は左派のボリッチ氏が勝利しました。
ボリッチ氏は富裕層への増税などを通じた公平な分配を掲げ支持を伸ばしました。
チリは現在、中南米で最も裕福な国の1つである一方で、世界で最も不平等な国の1つです。
1990年代からの経済成長を通じて貧困や失業率の低下につながりましたが、何十年も続く社会・経済的な格差は解消されていません。
この記事でボリッチ氏勝利の背景、チリの格差について詳しく見てみましょう。
チリの歴史
1818年、チリは植民地支配を受けていたスペインから独立しました。
そして、19世紀後半には産業革命で、国全体が栄えました。
その影響で輸出が増加し国の収入が増える一方、政治家、産業資本家、地主がその富を独占するようになりました。
その結果1913年までに人口の上位1%の持つ富が国全体の収入の25%を占めるようになりました。
一方で、19世紀の後半にはチリの政府や軍による先住民のマプチェへの抑圧が悪化しました。
マプチェの人々の権利を無視し、天然資源の豊富な彼らの土地を侵略し、その土地を使って事業を行うようになりました。
このようにチリに様々な形で不平等な状況が生み出されていきました。
1938年から、この格差に対する問題意識を持った政権が誕生し、政府は経済構造の改革を目指すようになりました。
特に1970年から1973年にかけて当時大統領であったサルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)氏が医療の無償提供など社会主義的な改革を進めました。
しかし、1973年に発生したクーデターによりアジェンデ政権は転覆し、ピノチェト氏が新たな大統領に就任しました。
このクーデターは、当時冷戦中であったアメリカの中央情報局(CIA)が関与したと言われています。
中南米地域に社会主義が広がることを恐れていたからです。
政権の座についたピノチェト氏は独裁を開始し、政策の一環として自由市場改革を行うようになりました。
この改革は「シカゴ・ボイズ」(Chicago Boys)の影響を受けています。
シカゴ・ボイズは、1950年代に新自由主義者(※1)でマネタリズム(※2)を発展させたミルトン・フリードマン氏のもと、アメリカのシカゴ大学で教育を受けたチリの経済学者たちに付けられたあだ名です。
※1 新自由主義者:規制緩和を行い、政府の市場への介入を最小限にし、経済を市場の自由競争の結果に委ねる立場。
※2 マネタリズム:フリードマン氏が提唱したもので、貨幣供給以外に政府が市場に介入することを控えるべきだという考え。
シカゴ・ボイズの計画では、経済活動における政府の介入が少ない社会や輸入に開かれた経済を目指していて、こうした政策はアメリカ政府の支持を受けたものでした。
ピノチェト独裁時代にシカゴ・ボイズは政府に加わり、そのうち数名は大臣に任命されました。
その影響を受けたピノチェト氏の政策では、国家の役割を最小限にとどめ、公共住宅や教育、社会保障、インフラなどの予算の削減、国有企業の売却を行いました。
教育、年金、医療システム、水資源などは民間の会社も担うようになり、1973年から1980年までの間に国が運営する会社が300社から24社に減少しました。
1980年には新憲法が制定されました。
憲法の内容も自由市場改革を反映したもので、政府が社会福祉を拡張することや企業に介入することを制限し、企業の活動に有利になりました。
そして、社会サービスの担い手が国家から民間に変わりました。
その後1990年に住民投票が行われ56%の賛成を経て民主主義に移行し、独裁政権が終了しました。
しかし、民主主義に戻った後もピノチェト独裁政権時代の自由放任主義の経済体制と憲法を維持することとなりました。
そして、自由貿易や輸出の拡大など新自由主義的な政策を行いました。
経済の「奇跡」とその裏側
自由放任主義の経済システムにより、チリの経済は急速に成長し、2018年には国内総生産(GDP)の値が1990年の約9倍に達しました。
この経済成長により貧困率や失業率が劇的に減少しました。
1992年に33%だった貧困率は、2014年には8%まで減少しました。
さらに25年間に及んで実質賃金が持続的に上昇しました。
経済成長を経て、チリは中南米で最も裕福な国の1つとなり、2019年には1人あたりのGDPがウルグアイに次ぎ、南米で2番目に高かったです。
この経済成長の背景には、チリの銅産業や国際貿易からの多額の輸出収入、外国からの投資が関係しています。
銅産業はチリの経済で占める割合が高く、輸出の49%も銅産業です。
鉱山労働者の収入は多く、賃金も高いです。
なかでも世界最大の露天掘りの銅鉱山のあるアントファガスタの鉱山地域は、最も経済成長のスピードが速く、1人あたりのGDPが国のなかで最も高くなっています。
銅産業に加えて、チリの輸出率や海外からの投資率も南米で一番高く、経済成長を支えています。
しかし、GDPは国の経済全体の規模を表すものに過ぎず、経済活動で得た富の配分や経済的な格差を計ることはできません。
経済成長は貧困を減らし裕福な人々に利益をもたらした一方で、チリの社会全体には格差が残りました。
貧困率が減少したとはいえ、現在も国民の50%は1か月の給料が500米ドル以下で生活しています。
経済格差の現状は悪化傾向で、2006年に人口のトップ10%の収入は下位10%の収入の約30倍でしたが、2017年には約40倍に達しています。
また、土地に関しても、1%の農家が70%以上の土地を所有している状況です。
そのためチリは世界で最も不平等な国の20か国の内の1つとされています。
さらにチリの経済を支えてきた銅産業も、2014年には銅の需要の低下によりその価格が下がり、経済に影響を与えました。
苦しくなる国民の生活
では、このように格差の激しい国における人々の生活の状況について詳しくみてみましょう。
1980年代に教育、医療、年金システム、水資源などが民営化されたことにより、裕福な人々とそうではない人々の間で社会サービスに関する不平等な状況が現在まで続いています。
教育
医療・福祉
医療や福祉に関しても問題があります。
ピノチェト独裁政権時代に営利目的の民間医療システムが台頭しました。
民間の医療は公共の医療システムに比べて圧倒的に医療費が高いため多くの人は公共の医療システムを利用しています。
しかし、公共の医療システムは民間の医療に比べると質の低い医療です。
さらに、世界で初めて民営化された年金システムは、低所得者層や非正規雇用の労働者の老後の生活を十分に保護することができていません。
民間から支給される平均の年金額は、最低賃金である約400米ドルを下回っています。
チリの退職制度では、軍や警察を除いて退職しても国家や企業から退職金などをもらえる保障はありません。
そのため退職後の生活において年金が重要となりますが、物価が高まってきている中、十分に生活できるだけのお金をもらうことができていません。
2008年に大統領であったミシェル・バチェレ(Michelle Bachelet)氏が、最も貧しい年金生活者に対して年金改革を行いましたが、それでも老後の生活に十分なお金を手にいれることができていない状況です。
労働者の権利
税制度・その他
税金のシステムに関しても不平等です。
貧しい人々に多額の税負担を求めるシステムであるため、給料が実質的に増えているとしても一般の人々の生活に使うことができるお金が減る原因となっています。
そのため、食料や生活必需品を十分に買うことが出来ず、貧困層で栄養失調に苦しむ人も多いです。
一方で、裕福な人々や権力のある人々の多くは、税金逃れや汚職を繰り返しています。
チリの水資源も完全に民営化されていて、たとえ所有地に流れる水であっても勝手にその水を飲んだり、使用することは出来なくなっています。
また、飲料、燃料、薪、エネルギーなどの産業は3つの大企業によって所有され、国民に配分されています。
この3つの大企業が価格を決定し、生活に不可欠なサービスを独占的に提供しています。
大規模デモの発生
このような不平等な状況は改善されることがなく、人々は社会・経済的な格差に反発するようになりました。
そして2011年には教育制度の不平等を背景に学生を中心としたデモ、2016年には年金システムに反対するデモが発生しました。
デモを受けて、当時大統領であったバチェレ氏は人権、医療、年金、税制度、教育の改革を行いましたが、十分な解決には至りませんでした。
これらのデモの発生後も社会・経済的不平等な状況は改善することがなく、2019年10月には、地下鉄運賃の約0.04米ドル(30ペソ)相当の値上げを発端として、大規模なデモが首都サンディアゴを中心に発生し、国全体に広がっていきました。
1日でおよそ120万人がデモに参加し、22人の死者、2,200人以上の負傷者、6,000人以上の逮捕者が出て、民主主義に戻って以降初めて軍が出動するほどの規模でした。
デモの影響を受けて、2019年11月に予定されていたアジア太平洋経済協力(Asia-Pacific Economic Cooperation: APEC)の首脳会談とその翌月に予定されていた第25回気候変動枠組条約締約国会議(COP25)の2つの国際会議のチリでの開催が中止となったほど、大規模かつ継続的なものでした。
これは2019年のデモのスローガンとなりました。
デモの抗議は30ペソの運賃の値上げに対してではなく、民主主義に戻ってからの30年間に及んで続く経済格差の状況に抗議していることを表しています。
2019年に発生したデモは、チリにおいて長年にわたり続いている日常生活の苦しみや社会・経済的な格差に対する抗議が背景にあります。
2018年の大統領セバスティアン・ピニェラ(Sebastián Piñera)氏はもともとこのデモに対して強硬な姿勢をとっていました。
しかし、デモの規模が拡大し勢いを抑えることが出来なくなったため、デモに応じて政府の支給する年金の額の増加、最低賃金の引上げ、高齢者の医療費の値下げ、富裕層に対する増税、政治家の減給などを表明しました。
しかし、政府の実行は遅くデモが収まることはありませんでした。
さらに2020年になると、新型コロナウイルスによる都市封鎖が行われたことで経済が大きな打撃を受け、生活に困窮する人々によるデモも続きました。
そこで2019年から続くデモを抑圧するための政府の譲歩として行われたのが新たな憲法作成に関する住民投票でした。
新しい憲法への道のり
2020年10月に住民投票が行われ、憲法が新しく書き直されることになりました。
新しい憲法を通じて、チリで長年問題となっている格差の解消につながることが求められています。
加えて、現在国家と先住民の関係が悪化しています。
特に先住民の土地に進出する企業に反対して先住民による暴力行為が行われています。
現在の憲法には先住民の権利に関する規定がないため、新しい憲法によって先住民の権利を認め、政治的な権利を獲得することが期待されています。