みなさんこんにちは、コクレポです。
カリブ海の島国ハイチのモイーズ大統領がおととい2021年7月7日、首都ポルトープランスの私邸で何者かに襲撃され、銃殺されました。
この小さな国で今、何が起こっているんでしょうか。
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栄光ある独立と独裁
今でこそ「中南米の最貧国」ともいわれるハイチですが、かつてフランス植民時代には「世界で最も豊かで生産的」な地域とも呼ばれる時期がありました。
フランス栄光時代の大きな収入源は、実はハイチのサトウキビプランテーションで、労働力は50万~70万のアフリカ系黒人奴隷によってまかなわれていました。
また、ハイチを語るうえで欠かせないのが独立の話です。
1804年に黒人奴隷たちが立ち上がって、宗主国フランスから権利を勝ち取ってできた、全世界最初の黒人共和国がハイチでした。
このニュースは中南米全土に広がるアフリカ系奴隷の子孫たちにとって、解放運動の希望となりましたが、奴隷制の恩恵を受けていた欧米から、ひどい仕打ちを受けることになります。
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第一にハイチを苦しめたのは、独立国家承認との交換条件に提示された巨額な賠償金です。
ハイチ独立によって巨大な収入源を失ったフランスが、要求した額は実に1億5,000万金フランと高額で、ハイチはその後約120年の間、国家予算の約8割に当たる額を返済に充てることで完済しています。
また、アメリカによる干渉もハイチを苦しめました。
カリブ海を裏庭とみなすアメリカにとって、ハイチはキューバと並ぶ警戒地域であったため、1915年には債務不履行を口実に、ハイチを占領しました。
20年に及ぶアメリカによる軍政の後、民政と軍政の混乱時代がしばらく続きます。
1957年大衆的な人気に押されて大統領の座についたのが元医師のフランソワ・デュバリエ(通称パパ・ドク)でしたが、その後彼は独裁化し、政権は息子のジャン・クロード・デュバリエ(通称ベビー・ドク)へと引き継がれました。
彼ら親子による独裁政治は1986年まで約30年も続きました。
財政の私物化はさることながら、秘密警察トントン・マクート(正式名称:国家治安義勇隊)による言論統制も問題視されました。
ある人権擁護団体の調査では6万~10万人もの市民が同団体によって殺害または、行方不明にされ、それ以外にも多くの人々が投獄され、拷問を受けました。
そんな暗黒の時代も1985年に発生した全国規模のデモを受けて、やがて軍が退陣を要求し、デュバリエがフランスへと亡命することで終止符を打ったと思われましたが、その後もデモや人権侵害は続きました。
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民主政治の名のもとの干渉
1987年に民主主義的な新憲法が制定されました。
貧困層を支持母体に、大きな期待が寄せられた人物こそが、1991年に着任した元司祭ジャン・ベルトラン・アリスティドです。
彼の在職期間は波乱に富むものでした。
結局、アリスティドは1年を待たずしてクーデターによって失職し、アメリカへと亡命することとなります。
ハイチが軍事政権下に置かれた間、彼は国際的な支持を取り付けることに奔走し、功を奏して国際連合によるハイチミッションの下、多国籍軍が展開、「従来の在任期間である1995年まで」という条件付きではありますが、1994年には再び大統領の座に戻りました。
しかしその後、政治的混乱のどさくさに紛れて、アメリカによって市場や政策の自国優位な改革(ショックドクトリン)をハイチ政府に導入させていました。
最初のターゲットは農業でした。
名目上、ハイチの惨状に対する打開策として打ち出されたのは、補助金によって価格が下げられたアメリカ米の輸入でした。
安価な米が大量にハイチ市場へ出回ることで、結果として米の価格は暴落、国内の稲作農耕は壊滅状態となりました。
その被害は甚大、現在まで尾を引いています。
後日、悪気はなかったとしてクリントン元米大統領自身が謝罪していますが、未だにハイチの国内の米消費量の大部分を輸入に頼っていて根本的解決はしていません。
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その後1996年からのルネ・ガルシア・プレヴァルの在任期間を挟み、2000年、アリスティドは、再び大統領となります。
しかし、4年後、彼は帰国が許されないままに遠く離れた中央アフリカ共和国へと留まっていました。
なぜでしょう?
背景にはアメリカやフランス、カナダによって画策されたクーデターがあります。
当時のブッシュ米政権側の主張は、治安悪化を受けたアリスティド氏による「自発的」な中央アフリカ共和国への亡命というものでしたが、これは、着陸直前まで行き先は告げられず、事実上の誘拐であったというアリスティドの主張とは食い違っています。
注目すべきことに、アリスティドは誘拐前年にフランスに対して賠償金返還を要求していました。
さらに、アリスティドが謳った最低賃金の引き上げが、現地で工場展開していたアメリカの衣類メーカーなどの企業にとって、生産コストの引き上げを意味していました。
これらのことは決して誘拐事件とは無関係ではないでしょう。
しかし、予想に反して、アリスティドが去ったのちも国内の賃金引上げ要求は収まりませんでした。
ウィキリークスが公開したアメリカの公文書によると、アメリカは強硬手段に転じ、2009年には、米大使館が、ハイチの繊維産業関連の下請け工場に対して、最低賃金を時給24セントに抑えるよう圧力をかけたとされています。
ハイチ政府の譲歩もあって日給が3ドルと議会で決まったものの、ハイチにて家族3人を養うのに必要とされる収入12.50ドル/日にはぜんぜん足りません。
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そのような混乱状態が続く2010年1月12日に起こったのがマグニチュード7.0の未曽有の大地震でした。
死者は30万人、被災者数は国民の3分の1に当たるおよそ370万人、被害総額は2009年の同国GDPの1.2倍に当たる78億円、その上コレラが流行しました。
このように世界でも稀にみる大混乱に陥る中、再びアメリカによる介入政策が展開しようとしていました。
アメリカの政府の政策決定に大きな影響力を持つ保守系シンクタンクであるヘリテージ財団が、地震後24時間を待たずしてアメリカ政府へと提案した内容は、公営住宅建築計画を取りやめ、非課税の企業地区を設置し、最低賃金に関する条項を取り除くというものでした。
この提言は、「再建」を前面に出しているものの、ハイチ国内での雇用創出よりも、外部委託先のアメリカ企業の雇用と利益創出が見込まれる内容でした。
なぜかこの発表はすぐに取り下げられました。
揺れる現状
2011年、アメリカ、フランス、カナダによる拠出金で賄われた選挙で16.7%という低得票率にて大統領に選出されたのが歌手のミシェル・マーテリーです。
横領にマネーロンダリング(資金洗浄)と、就任後の不穏な話題が絶えない人物でした。
たとえば、ベネズエラは、2008年から石油供給を通じてハイチの金銭的支援(ペテロ・カリベ基金(※))を行っていましたが、マーテリーの政権下にてその資金の大部分は行方不明となっています。
※ペテロ・カリベは主催国ベネズエラ及び加盟国17か国で構成される石油同盟。この同盟によってベネズエラから、1バレルあたり100ドルと安価での石油供給が可能。また、石油の現物提供を受けたのち、それらの国内販売利益の一部を国家予算として活用するペテロ・カリベ基金にもハイチは加入。
マーテリーの後任である現大統領ジョブネル・モイーズもまた、着服していたようです。
8年間で約20憶ドルもの資金が横領されたという報告もあります。
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しかしながらついにベネズエラの経済は限界に達し、2017年ペテロ・カリベが機能しなくなります。
ハイチへのその影響は、やはり尋常ではなく、石油の供給量不足や電気不足、極端なインフレーションを引き起こしました。
状況を打開しようと同年7月には、国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund)による指示の下で灯油の51%の値上げを含んだ燃料価格の引き上げが検討されていましたが、それに反発した市民によってデモが勃発しました。
その動きは拡大し、大衆とともに立ち上がった首相が大統領と対立、辞任に追い込まれる事態になりました。
また、アメリカと肩を並べ、恩人のベネズエラ現大統領マドゥロ政権の承認取り消しの声明を発表したことも国民を逆なですることとなりました。
慌てたのは今回暗殺された、ハイチの現大統領モイーズです。
国民の怒りは収まらず、収入源は絶たれ、情勢の立て直しを図ろうにも資金は底尽きています。
ここで、本来首相の同意なしにはアクセスできないとされる、ハイチ中央銀行に管理されていた石油基金の運営金8,000万ドルを大統領の口座へと移転させようとしました。
結局この不穏な動きは暴かれることとなり、口座は凍結された上に、移転ミッションを受けたアメリカ傭兵たちは逮捕されました。
でも、この傭兵たちは法廷にかけられることなくこっそりとアメリカへと帰国しました。
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コラム
なかなかニュースに出てこないハイチが大統領暗殺でメディアに取り上げられています。
でもスポットが当たるのは暗殺だけです。
ハイチの過去を知ると、アメリカやフランスにここまで搾り取られてきたのか、、むしろこっちを報道すべきじゃないのかな、、と思ってしまいます。
奴隷による初の共和国として独立して以来、皮肉にも他国による軍事的、政治的、経済的な介入によって振り回され続けたハイチ。
政情不安、災害、資金不足。。あらゆる局面で行き詰まっているかのように見えます。
この国の将来は一体どうなるんでしょうか?
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